T 著書
◎著書(編集を含む)
童話の台本 |
茨城県図書普及委員会 |
1951.5 |
ある小学校長の回想 |
岩波新書 |
1967.12 |
人間にくずはない |
あすなろ書房 |
1967.7 |
教育の姿勢教師の姿勢 |
私家版 |
1969.3 |
ほんとうの教育を求めて |
主婦の友社 |
1970.4 |
つしま丸のそうなん |
あすなろ書房 |
1972.1 |
風の子・太陽の子に |
主婦の友社 |
1974.3 |
1まいの卒業証書 |
あすなろ書房 |
1977.3 |
教育に生きて |
毎日新聞社 |
1977.7 |
子どもの天分を生かすために |
あすなろ書房 |
1977.2 |
子どもらに未来を |
毎日新聞社 |
1979.4 |
人間のやさしさ強さ |
童心社 |
1981.3 |
私の教育談義 |
群羊社 |
1985.3 |
◎共著( )内は共著者
子供会は如何にあるべきか(関忠夫・加藤光他) |
教室童話研究会 |
1948.2 |
人間教師は苦悶する(樋口澄雄) |
誠文堂新光社 |
1969.10 |
ほんとうの教育とは(丸岡秀子・遠藤豊吉) |
あすなろ書房 |
1972.7 |
母と子の教育相談幼児編(丸木政臣) |
偕成社 |
1974.3 |
母と子の教育相談児童編(丸木政臣) |
偕成社 |
1974.8 |
母と子の教育相談中学編(丸木政臣) |
偕成社 |
1974.11 |
いい先生を教えます
(遠藤豊吉 海老原治善 藤田恭平・早乙女勝元) |
昌平社 |
1975.12 |
親と子の教育相談室から(乾孝 丸木政臣 水畑道子他) |
毎日新聞社 |
1982.1 |
こんな先生がほしい(深谷和子) |
共同通信社 |
1984.2 |
◎編著書( )内は共編者
アンチ・スパルタ教育(城戸播太郎・平湯一仁他) |
童心社 |
1970.10 |
登校拒否学校ぎらいの深層心理 |
労働旬報社 |
1983.7 |
子どもたちに語りの世界を(上地ちづ子) |
童心杜 |
1985.7 |
◎その他
金沢嘉市と母親の勉強 |
椋の木社 |
1986.3 |
ゆっくり芽を出せ柿の種 |
椋の木社 |
1987.12 |
U 論文・随筆・座談会・対談・創作その他
※雑誌の発行所(または編者)の記入は該当誌初出時に限り、新聞掲載の著作は除外。
●1936年
第6回公演を迎へる |
「学校劇」5月号(学校劇研究会) |
くすぐりの清算 |
「童話教育」11月号(童話教育会 |
第7回公演をむかへて |
「学校劇」12月号 |
●1937年
星太郎 |
「童話教育」3月号 |
低学年に於ける劇指導の実際 |
東京市学校劇研究会編『東京市標準学校劇集』所収(教文社) |
一粒の小麦 |
「童話教育」7月号 |
●1938年
●1939年
教室童話への23の所感 |
「教室童話」8月号(教室童話研究会) |
童話を語る態度(特に児童観) |
「教室童話」9月号 |
●1940年
大江山 |
日本少年文化研究所演劇部編
『新日本児童劇集』所収(小学出版社) |
雨の一粒 |
「童話教育」5月号 |
教室童話の立場 |
「子供と語る」6月号(大阪童話教育研究会) |
渡辺華山 |
「教室童話」11月号 |
●1941年
童話脚色について |
「教室童話」1月号 |
科学と童話 |
「教室童話」5月号 |
団栗と椎の実 |
「教室童話」7月号 |
●1942年
専門家だけのものでな小童話 |
「少国民文化」11月号(日本少国民文化協会) |
●1943年
話し方 |
宮崎靖編『学芸会の理論と実際』所収(清水書房) |
闘ふドイツ少年 |
「少国民文化」11月号 |
●1946年
世界の童話より(1) |
「児童文化」第1号(芝児童文化研究会) |
主張 |
「児童文化研究」第1号(東京児童文化連盟) |
●1947年
●1948年
雨つぶ |
東京都教職員組合編『夏の子どもクラプ』所収(七星社) |
石橋勝治著「子ども自治会の指導」読後感 |
「あかるい教育」9月号 (日本民主主義教育協会) |
(座談会)子どもクラブの間題 |
「あかるい教育」10月号 |
危機にたつ少年文化 |
「新らしい教育と文化」12月号(日本教職員組合) |
●1949年
浮浪児山本数行の入学 |
「あかるい教育」3月号 |
児童会館−現状はどうなっているか |
「生活学校」3月号(青少年文化懇話会) |
少女小説読後感 |
「児童図書室」5月号(森田屋書店) |
加藤君を憶う/岡田君をおもう |
落合聰三郎編
『岡田錨蔵 加藤光思い出集」所収(落合聴三郎) |
ことしの児章文化政策の反省 |
「文部時報」2月号 |
●1950年
私のすきな童話 |
「おはなし文化」6月号(教室童話研究会) |
子供の集いの一例 |
「おはなし文化」8月号 |
●1951年
おはなし教育の根本間題 |
菅忠道・関英雄・早川元二編
『現代児童文化講座(上)』所収(双龍社) |
抗議する子供 |
戸川行男・望月衛・乾孝編
『親の知らない子供の生活』所収(東和社) |
(座談会)児童の福祉のために |
「社会教育」5月号(全日本社会教育連合会) |
祖国の未来に心をよせる子供たち1 |
新しい歴史教育の実践と
報告1「6・3教室」10月号(新教育協会) |
(座談会)山びこ学校の問題点 |
「教育」11月号(国土社) |
●1952年
小学校における歴史教育の実践 |
「教育」1月号 |
歴史を知った子どもたち |
「日本歴史講座月報」第4号(河出書房) |
歴史番組私見 |
「放送教育」10月号(日本放送教育協会) |
世界のなかまいり |
新児童文化の会編 『社会科ものがたりみんなの幸福年生』所収(実業之日本社) |
歴史教育 |
『講座教育』第5巻所収(岩波書店) |
歴史児童文学のあり方 |
「日本児童文学」12月号(日本児童文学者協会) |
●1953年
(討論)歴史教育の問題点 |
「教育」1月号 |
社会科と歴史教育の前進 |
「教育技術」6月号(小学館) |
考える子どもを−「この頃のできごと」の問題点 |
「視聴覚教育」9月号(日本視聴覚教育協会) |
教育は中立性よりも真実性を |
「教育評論」11月号(日本教職貝組合) |
●1954年
(てい談)学校放送をめぐって |
「教育」2月号 |
姿勢をくずしてはならない |
「教育評論」8月号 |
(座談会)原水爆と教育 |
「歴史地理教育」9月号(歴史教育者協議会) |
(座談会)戦後の教育をふりかえって |
「歴史教育」11月号(日本書院) |
●1955年
新聞の読ませ方 |
「読書指導講座」第6巻所収(牧書店) |
子どもと親しむ先生となるために |
「教育技術」5月号 |
ニュース解説「このごろのできごと」への批判に答えて |
「歴史地理教育」6月号 |
子どもたちは批判している |
「思想」8月号(岩波書店) |
時事解説 |
「日本の子ども」11月号(〜68年2月号)(講学館) |
砂川問題についての子どもたちの発言 |
「世界」11月号(岩波書店) |
●1956年
校務主任も教育者 |
「花」第7号(世田谷区教育委員会) |
創意の人・加藤光君 |
「学校劇」10月号(日本学校劇連盟) |
書評『教育紙芝居』 |
「日本児童文学」11月号 |
●1957年
低学年の社会科をどうしたらよいか |
「教育」2月号 |
司会・進行はこんなふうに |
「学校劇」7月号 |
科学的認識と社会科のなかみ |
「教育」12月増刊号 |
●1958年
なにをどう話すか |
「学校劇」5月号 |
勤務評定書を前にして |
「中央公論」10月号 |
歴史教育の回顧 |
「歴史地理教育」11月号 |
●1959年
●1960年
校長おぼえがき |
「教育」4月号 |
今日における歴史教育者の課題 |
「歴史地理教育」9月号 |
ある日の職員会議 |
「教育評論」11月臨時号 |
●1961年
(座談会)児童文化運動の課題 |
「演劇と教育」3月号(日本演劇教育連盟) |
教育観の古い父親に対して |
「児童心理」3月号(金子書房) |
お話の仕方 |
坪田譲治・城戸幡太郎・乾孝他編
『親と教師のための児童文化講座』第3巻所収(弘文堂) |
●1962年
わたしの卒業生 |
「児童心理」2月号 |
勤評を書く校長の良心の痛みについて |
金沢嘉市の証言『日本の教育』所収(岩波新書) |
●1963年
●1964年
学校の期待する家庭のしつけ |
「児童心理」6月号 |
気にかかる2つのこと |
「歴史地理教育」9月号 |
●1965年
●1966年
教師の期待する子ども |
「児童心理」1月号 |
よく学びよく遊べ |
「教育」6月号 |
続よく学びよく遊べ |
「教育」12月号 |
●1967年
雑草のようにたくましい子どもを期待する |
「児童心理」1月号 |
わたくしの望む教師 |
「学級経営」3月号(明治図書) |
(てい談)日本の学校の現状と未来 |
「教育」4月号 |
家庭教育でしなければならない役割 |
宮原誠一・大浜英子・
早川元二編『家庭の教育全集』第1巻所収(主婦の友社) |
教科書を突き破る子どもたち |
「少年演劇」第1号(少年演劇センター) |
教育学 |
図書新聞編『座談会戦後の学問』所収(図書新聞社) |
逆コースを巻きかえすPTAに |
「月刊社会教育」10月号(国土社) |
●1968年
国防意識と現場教師の立場 |
「週刊朝日」1月12日号 |
もっと大きな眼で |
「教育」2月号 |
(てい談)日本の教師に痛言する |
「歴史地理教育」4月号 |
(座談会)明治・大正・昭和の教育 |
「児童心理」5月号 |
子どもと天皇 |
「教育」6月号 |
夏休みこそ子どもの遊びを解放すべきだ |
「児童心理」7月号 |
新指導要領の意図するもの |
「歴史地理教育」9月号 |
●1969年
子どもに豊かな感情を |
「教育」1月号 |
未来に向う生き方に学ぶ |
「青少年文化」1月号(日本青少年文化センター) |
勤務評定のアラシの中で |
教育科学研究会編『戦後教育の森への証言』所収(毎日新聞社) |
彼らだけをムチ打てない思い |
「週刊朝日」1月31日号 |
(座談会)児童憲章の今日 |
「青少年間題」5月号(青少年問題研究会 |
勤評の反省と今後の課題 |
「教育評論」6月号 |
金沢嘉市証言 |
『家永・教科書裁判第2部証言篇5』所収(総合図書) |
証人台に立って |
「家永・教科書裁判第2部証言篇月報」第5号 |
幼児に感情教育を |
「日本児童文学」6月号 |
夏休みの子どもの生活 |
「学校図書館」7月号(全国学校図書館協議会) |
『ある戦後精神』を読んで |
「思想」8月号 |
平和教育に生きる草の実会・たいまつ社編 |
『現代史を生きて』所収(たいまつ杜) |
勝田さんの死にどうこたえるか |
「教育」10月号 |
首相の言葉を暗記していた子どもたち |
「アサヒグラフ」11月21日号 |
●1970年
(シンポジウム)教科書裁判の整理と展望 |
「歴史地理教育」2月号 |
(座談会)児童文化の今日と明日 |
「日本児童文学」2月号 |
(対談)教育の理念と教育の現場 |
『これからの教育1
変貌する教育シンポジウム』所収(日本放送出版協会) |
(座談会)日本人は変ったか |
「科学朝日」3月号 |
クオレ(愛の学校) |
『続・わたしの古典』所収(日本放送出版協会) |
教科書裁判に思う |
「アサヒグラフ」7月31日号 |
解説と昔ばなし |
「こども部屋」9月号(〜71年12月号)(子ども部屋社) |
(対談)教科書裁判の核心は何か |
「中央公論」9月号 |
宗像先生と私 |
「国民教育」秋季号(国民教育研究所) |
●1971年
(インタビュー)子どもの幸せを奪うもの |
「エコノミスト」5月号(毎日新聞社) |
(座談会)婦人教師に何を望むか |
「教育評論」5月号 |
沖縄と本土を救う道 |
「世界」6月号 |
(対談)教育の退廃は深まるばかり |
「朝日ジャーナル」6月25日号 |
教育とは |
「子どもの文化」7月号(子どもの文化研究所) |
●1972年
子どもとあそびと学校 |
「教育」1月号 |
子どもと創造性 |
「PHP」1月号(PHP研究所) |
宗像先生と私の学校経営 |
『国民の教育権を求めて』所収(百合出版) |
ゆっくり芽を出せ柿の種・しっかり根をはれ柿の種 |
『子どものしあわせと教育』所収
(教科書検定訴訟を支援する明石地区連絡会) |
(インタビュ−)学校教育からの提言 |
「図書館雑誌」8月号(日本図書館協会) |
(座談会)婦人教師になにを望むか |
「教育評論9月号」 |
日本の教育の課題1 私のめざす平和教育 |
「歴史地理教育」10月臨時増刊号 |
●1973年
(座談会)今日における子どもの生活と教育 |
「生活教育」4月号(日本生活教育連盟) |
塾の功罪 |
「PHP」4月号 |
(座談会)たくましい子 |
中川李枝子・平井信義編『たくましい子L所収(風媒社) |
憲法の初心にたって |
『明日を信じて・私の考える民主主義社会』所収(エコセン) |
●1974年
私の教えた子ども |
「毎日夫人」1月号〔〜12月号〕(毎日新聞杜) |
(座談会)教師の内面をささえるもの |
「季刊教育法」春季号(総合労働研究所) |
戦後の教育と教師の責年−近ごろ気にかかること |
「現代と思想」6月号(青木書店) |
童話を語る |
「季刊少年演劇」第15号 |
広島と沖縄で |
「母と子」11月号(福音館書店) |
●1975年
教育随想 |
「毎日夫人」1月号〔〜78年12月号〕 |
学校教育における子どもの遊びを考える |
「子どもの文化」6月号 |
●1976年
自立への道 |
「はこべ」4月号〔〜77年4月号〕(全共連) |
教師に求めたい憲法教育 |
「国民教育」春季号 |
最高裁学テ判決を読んで |
「季刊教育法」秋季号 |
家族みんなで働いた |
「月刊教育の森」3月号(毎日新聞社) |
●1977年
戦中・戦後の教育問題 |
「月刊自治研」2月号(自治研中央推進委員会) |
平和と教育 |
『市民講座太平洋戦争末期の市民生活
〈空襲・教育・報道・衣食住〉』所収(鳩の森書房) |
子どもの教師と教育基本法 |
「季刊教育法」春季号 |
子どもと試験 |
「はこべ」5月号〔〜12月号〕 |
夕日に手を合わせた美しい母 |
『この素晴しい人たち』所収(ひかりのくに) |
子らとともに |
「月刊教育の森」10月号〔〜79年1月号〕 |
●1978年
子どもの遊びと自然 |
「子どもの文化」1月号 |
鉄棒はうまくても体育は3 |
「はこべ」1月号 |
「平気」というコトバの意味は |
「はこべ」2月号 |
悔恨 |
『先生になりたい』所収(労働旬報社) |
戦中教育の告発 |
「国民教育」春季号 |
「君が代」教育と憲法 |
「文化評論」9月号(新日本出版社) |
●1979年
子どもに豊かな心を |
「子どもの文化」1、2月合併号 |
若き教師へ |
「教職課程」2月号(協同出版) |
子どもたちの深層にあるもの |
『親子のための39章』所収(学陽書房) |
(座談会)「教育経営」に取り組む |
「月刊教育の森」7月号 |
再び過ちをくり返さないために |
「教育評論」8月号 |
子どもらの自殺、非行化に想う |
「現代と思想」9月号 |
●1980年
80年代の教育と文化の課題 |
「子どもの文化」3月号 |
子供に学ぶ |
『NHK人生読本(1)』所収(日本放送出版協会) |
東京児責文化連盟−思い出すままに |
「少年演劇」第26号 |
サケとイクラと北方領土 |
「子どもの文化」11月号 |
人ひとりの人格を尊重して |
『どう教えどう育てるか』所収(教育研究杜) |
子どもたる身の独立自尊法は |
「子どもの文化」12月号 |
●1981年
あやまちを繰り返すまじ |
「思想の科学」1月号(思想の科学社) |
子どもらを信じたい |
「子どもの文化」2月号 |
子供の教育と社会の役割 |
「平和文化研究」第4集 |
人生とは燃え続けることである |
『一流人私の好きな言葉』所収(講談社) |
母乳とおんぶの子育て法 |
「子どもの文化」4月号 |
子どもにとって平和とは何か |
「子どもの文化」8月号 |
教育相談から見た子どもたちは |
「教育評論」3月号 |
敗戦−教職の座を去れず |
朝日新聞「こころ」のぺージ編『私の転機』所収(冬樹杜) |
●1982年
教育と文化の流れを変えよう |
「子どもの文化」1月号 |
子どもたちによる正義の反乱 |
「朝日ジャーナル」2月19日号 |
子供の未来と教育 |
『NHK文化講演会7』所収(日本放送出版協会) |
(てい談)磨き続けてつとまる仕事 |
「月刊教育の森」9月号 |
教師への願い・再び子どもを戦場へ送るな |
「子どもの文化」9月号 |
「先生、まだあるんですか?」−若い教師に訴えたいこと1 |
「文化評論」10月号 |
戦争への道を許してはならない |
「子どもの文化」10月号 |
許すことはできるが、忘れることはできない |
「子どもの文化」11月号 |
(座談会)学校劇研究会 |
「少年演劇」第29号 |
「子どもにみどりを」 |
「子どもの文化」12月号 |
●1983年
子どもの人権が危なくなってきた |
「子どもの文化」1月号 |
障害児をできるだけ普通学校で |
「子どもの文化」2月号 |
つっぱり少年と女教師 |
「子どもの文化」3月号 |
一日一日を大事に悔いなき人生を |
『贈ることば』所収(PHP研究所) |
連載対談 |
「子どもの文化」4月号〔〜84年9月号〕 |
●1984年
教師であることよりも人間でありたい |
「教育評論」1月号 |
すべてを天皇陛下の御ために |
「国民教育」夏季号 |
子どもたちは訴えている(金沢嘉市教育コーナー) |
「子どもの文化」10月号〔〜85年9月号〕 |
|
|
●1985年
人間の尊厳を守る |
『なぜこの学校に行けないの』所収(八月書館) |
子どもたちに語りの世界を |
「子どもの文化」5月号 |
死者と共存して戦争の風化を許さず |
「子どもの文化」8月号 |
『教育』は私の教育のよりどころ |
『複刻・教育』別巻2所収(教育科学研究会 |
(シンポジウム)現代の子どもたちに語ることはどのような意味 |
を持つか「民話と文学」10月号(民話と文学の会) |
私と口演童話 |
『ストーリーテリング』所収(弘文堂 |
●1986年
子どもたちの訴え |
『子どもは訴える』所収(労働旬報社) |
子どもの文化運動と城戸先生 |
「子どもの文化」12月号 |
聞き書き 金沢嘉市・教育と文化をたどる |
「子どもの文化」4月号〔〜10月号〕 |
(対談・座談会)ことばとふれあい |
「語りの世界」3号 |
|